茶事に招かれて


先月いつも一緒に稽古をしている友人に念願の炉を切ったからと茶事に招かれました。
床は「関」、この炉を切る行為は亭主にとってまさに関だったと話してくれました。
思いきって炉を切った今、新しい道が見えていることでしょう。
この頃、茶事の練習を含め、茶事に頻繁に出る機会に恵まれています。
そこでやっとわかりかけてきたことは、茶事とは1枚の絵のようなもの、
亭主と客との感性のコミニケーションだと感じています。
亭主が描き上げた絵はまだ完成ではないのです。客がその絵を感性で受け止めて更に完成に近づける、こんな感じです。
所作の一つ一つ、懐石、会話、最後の礼状までに美が存在します。
400年以上も前にこのような芸術的な遊びを楽しんでいた日本人はすばらしいと思います。
すべてが日々の鍛練の上に成り立つことなのですが…